2代所長竹口杉松氏は、明治38年7月福岡県田川郡香春町708番地に移転し就任した。杉松氏の信仰は、明治29年阿蘇郡黒川村にて国鉄工事(豊肥線)を請け負って働いていたところ脳充血で倒れ、2時間息が切れていたが、阿蘇布教所初代大塚子一郎氏のおたすけにより不思議な御守護を頂き、一命を取り留めたことから始まる。
以来道一条の心を定め、同33年どうせ布教するなら道のつきにくい故郷、築上郡角田村に行こうと向かっている道中、香春の地でおたすけにかかり、不思議な御守護頂いたことで次々とおたすけの誘いが来て、難病の者も御守護頂くなどして信者が集まりだした。杉松氏は故郷への未練もあったが、神様の思惑はこの地にあることを悟り、腰を据えて布教するようになった。
ところが、警察の干渉が始まりその道すがらは大変険しく、一時の事情にて警察に検挙されやむなく免職となり、3年間阿蘇の教会で厄介になり、その後教導職 (教会長資格)を取得した。
安西は3代所長として明治41年8月に上級の大塚子一郎氏が就任されていたが、杉松氏は大正4年に復職し4代会長として再び教会の教勢に精魂を傾け、理に強く徹底して上級へ尽くす中に、安西の盤石の基盤を築いた。